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【美しい十代】三田明【夕子の涙】

1 :昔の名無しで出ています:2007/07/12(木) 21:20:35 ID:s33YZ8ba
一時、御三家をしのぐ人気を得ていた吉田正門下、三田明を語ろう。

238 :昔の名無しで出ています:2008/06/04(水) 09:19:32 ID:8vDNVBOZ
↑ヒットしたでしょうね。吉永小百合&トニーズでもそこそこだったし。
それにしてもこの「勇気あるもの」、確かに名曲だが、サビの部分が三田の「夕子の涙」に似てる。

239 :昔の名無しで出ています:2008/06/04(水) 16:45:29 ID:TxfnC0ob
「夕子の涙」の歌詞にはしっかり「銀座は西の裏通り」という地名が入ってるね。
数寄屋橋といい、六本木といい、ルート246といい、三田明にも東京を舞台にした曲が多いよね。
これらの曲は、フランク永井の都会派ムード歌謡にならって「都会派青春歌謡」とでも呼ぶべきかな?

240 :昔の名無しで出ています:2008/06/04(水) 20:02:29 ID:8vDNVBOZ
三田が東京出身ということもあるし、声が割とソフトで甘いので、都会的な曲が多いのだろう。
「別れの一本杉」や「早く帰ってコ」「お月さん今晩わ」などのふるさと歌謡は、三田には合わない。

241 :昔の名無しで出ています:2008/06/05(木) 18:07:19 ID:K7O4ToHO
その三田明にも、少ないながら田舎を舞台にした曲があるよ。
北の最果て「サロマ湖の空」とかね。それから南の果て「さよならした長崎」とかね。
ところで、だいぶ後年の曲で「ほおずきうそつき」は語呂合せみたいなタイトルだけど、
これは浅草のほおずき市を舞台にした曲なんだろうね。

242 :昔の名無しで出ています:2008/06/05(木) 23:05:14 ID:ULCkhPfZ
それでも三田の「地方ソング」はこじゃれた雰囲気の曲ばかり。春日八郎や三橋美智也、青木光一らの「ふるさと歌謡」路線とは一線を画す(年代も違うし、ビクターにはそもそもそのような路線はない)。

243 :昔の名無しで出ています:2008/06/06(金) 09:04:51 ID:ebeF5HvQ
ビクターでは三浦洸一が、春日八郎や青木光一路線的な曲を結構出してるね。
「北海だより」「ふるさとの岬」「郵便船が来たとョー」とか(まあ三浦洸一の個性には合わないけど)
ところで三田明は、ふるさと歌謡が少ないのと同じく時代歌謡も極端に少ない。
「牛若丸」「燃ゆる白虎隊」「安寿と厨子王」「森蘭丸」くらいかな。
橋幸夫が股旅をはじめとする時代物が大量にあるだけに、三田が時代物に合わないという
印象は強烈ではあるけど、もっと歌ってもよかったのではないかという気もする。

244 :昔の名無しで出ています:2008/06/07(土) 20:21:11 ID:m5GMFO+Q
吉田正やビクターとしては、股旅物は橋幸夫に特化したかったのだろう。それに三田はこぶしがあまり回せないので、こぶしが命とも言える股旅物には向かないと思われる。
三浦洸一の「ふるさと路線」はまさにビクター色。どこか垢抜けしていて田舎臭さを感じない。春日や三橋が東北・北海道出身に比べ、三浦が神奈川出身ということもあるのだろう。

245 :昔の名無しで出ています:2008/06/09(月) 17:56:43 ID:Y/ZQlzOp
フランク永井は宮城県出身だけど、その歌唱法は都会的センス十分だよ。
やはりジャズやってたのが、歌謡曲にも生きてるね。
吉田門下出身歌手の出自は、
フランク永井→ジャズ、三浦洸一→クラシック、マヒナ→ハワイアンとバリエーションが豊富。

三田明は声質とか考えると、この3路線ではやはりフランク永井のジャズ路線が一番近いのかな?


246 :昔の名無しで出ています:2008/06/09(月) 21:44:35 ID:y5ysXQyF
「夕子の涙」以降の三田の声質は、確かにフランク永井系統であると思う。三田はもともと洋楽を好み、学生時代は仲間とバンドを組んでいたりしたので、ジャズのフィーリングはある程度は身に着いているはず。
だだ、フランク永井は吉田門下だからこそ売れたのだろうが、もし中村八大についたらどうだったろう。音楽的見地から言えば、フランクは吉田より八大向きの歌手だと思う。

247 :昔の名無しで出ています:2008/06/10(火) 14:41:17 ID:Pap3FNSx
吉田正は、フランク永井が大好きだったと思うよ。
「有楽町で逢いましょう」のヒットで自分が作曲家として一人前になったと自覚したと言ってたくらいだからね。
フランクの個性と吉田正の曲は、特に不釣り合いとは思わないけど、
三浦洸一は吉田の曲調に合う歌手ではないのはよくわかる。
三浦洸一がコロムビアに入って、伊藤久男路線の曲を歌ったら面白かっただろうとは思う。

そして、橋幸夫と三田明を対比した場合、
吉田正の好みからいえば、声質の甘い三田の方が意外に好んでいたのかもしれない(勝手な想像だが)
(デビューを急がず、安定した歌唱力を身につけてデビューしていたら、
 三田はきっと吉田門下で第二のフランク永井的歌手になっていたかもしれないよ)

248 :昔の名無しで出ています:2008/06/10(火) 19:12:55 ID:WTCUxKeO
三浦洸一は紛れもなくコロムビアカラーの歌手である。伊藤久男のような豪快さはないが、藤山一郎や霧島昇、岡本敦郎あたりの路線は充分に継承できると思う。
ちなみに三浦はもともと霧島のファンで、学生時代には「旅の夜風」や「旅役者の唄」などをのど自慢などで歌っている。

249 :昔の名無しで出ています:2008/06/10(火) 19:14:22 ID:WTCUxKeO
それから今日は、NHK歌謡コンサートに出演、「美しい十代」を披露する。

250 :昔の名無しで出ています:2008/06/11(水) 17:52:24 ID:s2FVMrwp
しかし、三田明がテレビ出演時には「美しい十代」以外の選曲はないのだろうか?
個人的には、吉田正作詞作曲の「恋人ジュリー」をお願いしたかったが誠に残念である。
もっとも、万人向けの知名度で選曲すれば「美しい十代」に落ち着いてしまうのはしょうがないんだろうけど、
いつもいつも「美しい十代」だけだと、三田は一発屋というようなイメージがついてしまう。
その点橋幸夫は、今回「潮来笠」ではなく「メキシカンロック」を歌ったのはまだマシだったと思う。
それから三浦洸一も、お決まりの「落ち葉しぐれ」より「東京の人」をお願いしたかった。


251 :昔の名無しで出ています:2008/06/11(水) 21:32:14 ID:abzHLGP5
テレビ出演時は必ずと言っていいほど「美しい十代」しか歌っていない。極稀に「明日は咲こう花咲こう」を歌うぐらい。
ラジオだと「夕子の涙」を歌う時もあるが、その他のヒット曲(ごめんねチコちゃん、若い翼、アイビー東京、恋人ジュリー、薔薇の涙…など)はまず歌われない。
それらのヒット曲は、当時ヒットしたにもかかわらず認知度が低く、歌番組で披露しても分からない人が多いから歌われないのだろう。三田のヒット曲で認知度が高いのは「美しい十代」ぐらいしかない。三田のファンならば、前述のヒット曲は網羅しているだろう。

252 :昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 13:38:31 ID:UuSGxgUU
一度はテレビで、
♪よ〜んでるぜ呼んでるぜ〜ななつの海が〜〜・・・・ヨーソロヨーソロヨーーソロ〜〜
と景気のいい歌声を聴いてみたいものだ。
でも考えてみると、橋幸夫の「メキシカンロック」も長い間封印してて歌ったこと無かった
みたいだけど、漫才ブーム時にザ・ぼんちのおさむがメキシカンロックの歌真似してから、
本人もテレビで歌うようになったんだよね。
やはり、テレビ番組では常に数曲はレパートリーを持っていないと、ホントにつまらないよ。

●橋幸夫→潮来笠、江梨子、いつでも夢を、恋をするなら、雨の中の二人、霧氷、メキシカン
●三浦洸一→落ち葉しぐれ、弁天小僧、東京の人、踊子、釧路の駅でさようなら、異国の丘
●三田明→美しい十代 のみ
・・・・先輩たちと比較すると、あまりに寂しいのがよくわかるよ。

253 :昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 14:17:15 ID:aWN9aGtk
視聴者も満足するし、歌手をはじめとする製作側もレパートリー
を限定したほうが楽だから、仕方ないんだろうね。

254 :昔の名無しで出ています:2008/06/12(木) 21:47:17 ID:X75ro0VP
親父のカセット整理していたら、ひるの歌謡曲エアチェクした
三田 明 ありました。

さよならの向こうで・五月のバラ・春の風・星影の二人、悲しみに乾杯
サロマ湖の空・みんな名もなく貧しいけれど・ナイトイン六本木
恋人の泉・高校騎兵隊・恋人ジュリー

30年位前ですか?


255 :昔の名無しで出ています:2008/06/13(金) 09:26:43 ID:+VMdxsWg
>>254
そ、それは、懐かしい。私もラジカセで録音して現在も保存してある。
たしか、昭和52年NHK・FM昼の歌謡曲(この番組はたしか12:00〜12:45の放送でいつもかかる曲は11曲位だった)
当時発売中だったのが、2番目の「五月のバラ」で、前年に発売されたのが「さよならの向こうで」
そしてそのB面が「星影の二人」(この11曲の中で一番いい曲だなと、当時思った)

NHK昼の歌謡曲で、その後も三田明特集が組まれるたび録音したけど、
「ほおづきうそつき」「並木の雨」「来た道寄り道帰り道」「赤毛のおんな」あたりから
「太陽のカーニバル」「数寄屋橋ブルース」などなかなかの選曲で、気に入っていた。
(この番組を聴いて、初めて知った曲も結構あった)
ただ記憶では、この番組で「薔薇の涙」は流れたことは一度も無かったと思う・・・

256 :昔の名無しで出ています:2008/06/13(金) 22:03:40 ID:ErMf1rn1
「薔薇の涙」は三田のオリコンチャート内での最大のヒット曲なのに(オリコン発足前のヒット曲の売り上げデータは不明)、今まで発売された三田のCDアルバムには収録されていない。
だが、まったくCD化されてないわけではなく、「吉田正自撰77曲」に収録されている。

257 :昔の名無しで出ています:2008/06/16(月) 22:08:38 ID:AIAF/4DO
昭和43年のオリコンの記録を見ると、
三田の「薔薇の涙」は、西郷の「月のしずく」よりは若干落ちるが、
舟木の「残雪」を上回っていて、「四天王」という言葉にふさわしいとは思うが、
数字を見る限りでは、やはりブームだったGSにだいぶ喰われているのがよくわかる。
だけど、「一人GS歌謡」という観点で見ると、橋の「思い出のカテリーナ」「雨のロマン」より
三田の「薔薇の涙」「真珠の恋人」あたりの方が、よりGS色が濃いように感じるのは、
この両者の歌唱法の違いのせいだろうか?

258 :昔の名無しで出ています:2008/06/17(火) 18:40:18 ID:iZ+nDwrU
そもそも橋幸夫にGS路線を歌わせたことが間違い。橋が歌うと音頭っぽくて、当時はヒットしただろうが、今聴くと失笑してしまう。橋と比べたら、三田の方がGS向きかと。
さて、三田の「薔薇の涙」は、昭和43年紅白で歌われたが、三田は白組トップバッターでの出場だった。白組司会の坂本九は「先取点の欲しい白組、その重責を担うのは薔薇の涙、三田明くん」と紹介している。GSブームの当時でも、三田の人気はまだそれなりにあった。

259 :昔の名無しで出ています:2008/06/17(火) 18:52:19 ID:???
w

260 :昔の名無しで出ています:2008/06/18(水) 15:06:40 ID:8E1Cg5ac
橋幸夫が、フレッシュメンというバンドをバックにつけて「名無し草」という
何の変哲もない歌謡曲を出してるけど、三田の「薔薇の涙」あたりもどこかのバンドを
バックにつけて、モロGSとして出してたらもっとヒットしたかもよ。
同じビクターのバンドといえば、モップスやオックスやダイナマイツなどアクの強いバンド
だらけだけど、サニーファイブあたりだとかなり地味でイケたかもしれない。

ちなみに「薔薇の涙」の最後の部分、♪いとぉしのぉ〜〜ロォ〜ザァ〜〜〜〜
は、演歌歌手に歌わせたら、絶対コブシがゴロゴロ回ると思う。

261 :昔の名無しで出ています:2008/06/18(水) 23:27:14 ID:tKWc4bzf
「薔薇の涙」を、橋幸夫が歌っていたら間違いなく、♪いと〜しの〜ロ〜〜〜↑↓〜ザ とバリバリこぶしが入ったであろう。
本格的GSに味付けするならば、「薔薇の涙」より「夕子の涙」「アイビー東京」の方がしっくり来るのではないか(「薔薇の涙」はGSの「バラ色の雲」に似てる要素はあるが)

262 :昔の名無しで出ています:2008/06/19(木) 14:48:33 ID:vENva5z3
「夕子の涙」はワイルドワンズのチャッピーあたりが歌ったらツボにはまりそうだなw

だけど、「夕子の涙」をよく聞き込むと、メロディーは青春歌謡風にアレンジされてはいるけど、
 ♪小雨にけむる〜宵で〜し〜た〜 銀座は西の〜裏〜通り〜〜
ていう歌詞は、まるでフランク永井の西銀座駅前顔負けの都会派ムード歌謡の世界が
広がっていて妙な感じがする(しかも吉田正による作詞なだけになおさら)
どうも三田の「青山通り」「夕子の涙」「ブルーシャンペン」「数寄屋橋ブルース」「ナイトイン六本木」
「タートルルック」「大阪ナイト」・・・・等の曲とフランク永井の一連の曲は、どこかで連接性があるように感じる。
(ちなみに吉田正作曲の橋幸夫作品には、フランク永井を想像させる作品は見当たらないが・・・)

263 :昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 06:56:10 ID:xk214MWO
橋幸夫作品は股旅かリズム歌謡って相場が決まっている。吉田正の作品分野を大別するとリズム歌謡、股旅歌謡、ムード歌謡、青春歌謡、日本調歌謡に分けられる。
三田には股旅歌謡や日本調歌謡はちょっと無理なので、残るのはムード歌謡かリズム歌謡しかないのだ(青春歌謡はすでに歌っている)。

264 :昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 15:10:39 ID:jN9KuH6u
三田明が、三度笠かぶって出てきて「○○笠」なんて曲歌ったら限りなく売れなかっただろうな。
でも「牛若丸」の裏面に「花笠娘」という曲がある。もっともこれは股旅ではないが・・・・

西郷や舟木も、青春歌謡のあとの大人の曲を模索する中でテーマがどんどん尽きていった感が
否めないけど、三田の場合は吉田正が大人のテーマとしてムード歌謡を考えた形跡は
「数寄屋橋ブルース」あたりにありそうな感じかな?
時代的には「都会派ムード歌謡」より「ブルース演歌」(森進一調)の方が主流だけど、
ブルース演歌は猪俣公章の十八番で、吉田正の趣味では無かったんだろうね。
インパクトでは圧倒的に、盛り場ブルース>数寄屋橋ブルースだもんね。


265 :昔の名無しで出ています:2008/06/20(金) 21:58:29 ID:xk214MWO
吉田作品はどこか上品で、森進一らの薄汚れた泥臭い演歌路線はあまり得意としなかったのでは。だから、吉田門下歌手もそういう類の曲のカラーではない。吉田メロディーの真骨頂的曲をあげれば「いつでも夢を」だろう。

266 :昔の名無しで出ています:2008/06/21(土) 09:11:28 ID:G/d9ABUX
ただ吉田正にも、久保浩「女の生きがい」という曲がある。
明らかに「女のためいき」を意識した曲だけど、やはりこういう路線は、猪俣ー森にはかなわない。
久保浩は、三田より演歌臭のある声質で結構演歌調も出しているが、やはり青春歌謡出身は拭えず、
森ほどのインパクトはまるでない。
三田の場合は、モロに吉田正の清潔感あふれる青春歌謡の世界にドップリ入っていたから、
泥臭い曲は苦手なんだろうけど、もしそれをこなし得ていたら、大人の歌手として大きく脱皮
していたかもしれない。

267 :昔の名無しで出ています:2008/06/22(日) 21:16:34 ID:LX0m4i7W
三田が吉田門下じゃなかったら、泥臭い演歌ももしかして歌っていたかもしれないし、その路線で成功していたかもしれない。はたまた、まったく売れなかったかもしれない。
青春歌謡歌手の人気は一過性で、そこから脱皮しようとしても継続しようとしても人気は続かない。だが一過性と言えども売れることは売れる。一時期売れた過去の実績で今でも歌手として何とか食べていければ、それはそれでよかろう。
三田の歌手としての可能性は、吉田門下に入ったことで頭打ちになったのは確かだろうが。

268 :昔の名無しで出ています:2008/06/23(月) 17:01:31 ID:9HVTMHO2
考えるに、三田の場合は吉田門下に入った事云々よりも、デビューがあまりに拙速すぎた感が拭えない。
初期の作品を聴くと、明らかに歌手三田明の個性を生かした曲作り&売り出し方をしたとは到底思えない。
舟木の勢いに焦ったビクターが、年齢的にも舟木より若く美少年でルックス的人気を得られそうだという
その一点の魅力だけで、三田を舟木の対抗馬として仕立て上げただけのような気がする。
(おそらく吉田正も、もう少しレッスンを積んでからデビューした方が良いと思ったかもしれない)
もっとも、デビューが昭和40年以降にまで遅れれば、GSに押され始めた青春歌謡歌手ではなく
もっと違った売り出し方の可能性も模索出来たかもしれない。
ただし、吉田門下でデビューしたおかげで「美しい十代」という吉田の名曲に巡り会えたのも
事実だから、結果としては良かったんだろうと考えるのが妥当なんだろうとは思う。

269 :昔の名無しで出ています:2008/06/23(月) 20:06:31 ID:sv4cR2/v
ビクターが三田のデビューに焦った感は確かに否めない。コロムビアの舟木一夫の対抗馬を、どうしても年内にデビューさせたかったのだろう。
音感が先天的に優れた人ならば短期間のレッスンでも歌手として完璧な形になるが、三田の場合は残念ながらそこまでの音感はなかった。三田が吉田から「まぁいいだろう」と初めて褒められたのは、デビューから4年たった「夕子の涙」だったという(三田談)。
ちなみに三田は「青春歌謡」のレッテルを貼られているが、彼の音楽的センスを考えると幾分もったいない気がする。彼はジャズや洋楽にも造詣が深く、洋楽カバーアルバムもリリースしているわけだし。
三田は青春歌謡で名を挙げた訳で、それはそれでやむを得ないことか。

270 :昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 17:18:43 ID:DgcaEbUy
>>269 >彼はジャズや洋楽にも造詣が深く、洋楽カバーアルバムも・・・・・

そこで、三田明=フランク永井のムード歌謡路線というのが見えてくる。
三田の場合、もっと早い時期(全盛期)から「赤毛のおんな」のような
ジャズ色の強い曲に挑戦してても良かったのかもしれない。
(大人の女を歌ったジャズのフィーリング満点の曲を三田が全盛期に歌ったら、
森の盛り場女の人生ブルースと好対照で、インパクト絶大だっただろうと
勝手に想像しているが・・・・・)




271 :昔の名無しで出ています:2008/06/24(火) 22:21:32 ID:TIwfkLe/
三田の音楽的ルーツはフランク永井と近いものがある。だが「美しい十代」のインパクトがあまりにも強烈で、しばらくはそのイメージにさいなまれていた感がある。
いっそデビュー曲が「美しい十代」じゃなくて都会派ムード歌謡だったら、三田は同じビクターにおける森進一の好対照になり得た可能性はないとは言えない。
今となっては青春歌謡のイメージを大切にし、出世作の「美しい十代」に感謝しながら歌い続けているわけだが。

272 :昔の名無しで出ています:2008/06/25(水) 15:34:10 ID:KhACGHGd
♪風は今夜も冷たいけれど〜星はやさしくささやきかける
♪昼は楽しく働く仲間〜みんな名もなく貧しいけれど〜〜

「美しい十代」だけがビッグヒットで一人歩きしてるけど、
セカンドシングルのこの「みんな名もなく貧しいけれど」も珠玉の名曲。
内容的には、山田太郎の「新聞少年」的な勤労青年をテーマにしているけど、
3枚目以降は「友よ歌おう」「すばらしき級友」・・・・などの学園物が続いていくだけに
三田の曲としては珍しいテーマの曲だと思う。
これらの曲も、積極的にテレビやステージ等で歌えばいいんだけどね。


273 :昔の名無しで出ています:2008/06/25(水) 22:39:47 ID:gkoUb3Vp
確かに三田は「美しい十代」の一発屋ではない。ヒット曲は数多ある。だがどういうわけか、懐メロ番組では「美しい十代」しか歌わせてもらえない。だから余計に「三田明=美しい十代 ONLY」のイメージがつきまとってしまう。
三田は日本一の美少年という触込みでデビュー、そして曲は「美しい十代」。何ともピッタリ過ぎるではないか。あまりにピッタリ過ぎて、その後他の曲を歌っても、三田の顔を見ただけで世間は「美しい十代」を連想してしまうようになったのではなかろうか。
他にヒット曲があるのに、もったいない。ちなみに一発屋じゃない証拠に、紅白には6回出ている。(ごめんねチコちゃん、若い翼、恋人ジュリー、夕子の涙、薔薇の涙、サロマ湖の空)

274 :昔の名無しで出ています:2008/06/26(木) 17:59:35 ID:QVXfQgfy
三田の発売曲を順に見ていくと、昭和44年と昭和45年の間にだいぶ
落差があるように感じるのは錯覚だろうか。
昭和44年は「タートルルック」から始まって「惜別のワルツ」「太陽のカーニバル」
「サロマ湖の空」「あなたの涙」ときて「涙と微笑み」あたりまでは流れに乗って
良い曲が続いていたと思うけど、45年に入るとその流れが止まってしまった印象を受ける。
当然ヒットも無くなり、結果的に紅白落選になるわけだけど、
「ふれあい」あたりを聴くと、明らかに「涙と微笑み」以前と趣が違うように感じる。
ちなみに、この頃から吉田正以外の作家の曲もボチボチ歌うようになったんだよね。

275 :昔の名無しで出ています:2008/06/26(木) 23:47:01 ID:xk88pD9I
昭和45年は三田にとって悪い意味でのターニングポイントの年だと言える。
この頃すでに青春歌謡が低迷、三田の人気も整形手術失敗などで急降下していた。
そんな三田に新境地をとの流れもあったのだろうがどうも波に乗り切れず、紅白も落選。以降、ヒット曲を出す事もなかった。
三田のカラーの紅白歌唱映像が見てみたかったものだ。

276 :昔の名無しで出ています:2008/06/27(金) 19:05:06 ID:W0PKsIhe
「ふれあい」(すぎやまこういち作曲)「振り返ってみたけれど」(藤本卓也作曲)
など、吉田正から離れて違う作家の曲にチャレンジしたのはいいけれど、
橋のようにまだ勢いがあった時代に吉田以外の作家の曲を歌えば、
すんなり新境地の開拓成功となっただろうに、三田の場合は人気下降時期であることと
それまでの曲があまりに吉田カラーが強すぎて、吉田以外の曲はかなりインパクトに劣る
というところが不幸ではあったと思う。
人気があった昭和43年頃から年に1曲くらいは、他作家の曲にチャレンジしててもよかったような気がする。
(特に、青春歌謡色がまったく無い作家の曲ならば、新たな新境地が見いだせた可能性無きにしもあらずと)


277 :昔の名無しで出ています:2008/06/27(金) 22:41:41 ID:GHdLp30i
確かに、脱吉田メロディーに切り替えるタイミングが遅かった。昭和41、2年頃だったらほぼ間違いなく成功していただろう。
デビューから7年間、持ち歌すべてが吉田作品というのも尋常じゃないかもしれない。実子がいなかった吉田は当時、三田を養子に迎えたかったという。それぐらい、吉田は三田をかわいがっていた。

278 :昔の名無しで出ています:2008/06/28(土) 18:27:29 ID:vlxy5j40
だけど考えてみると、昭和44年まで100%吉田作品であったのが、
昭和45年以降になるとピタッと無くなったのは不可解とも思える。
同じ頃、橋も吉田作品はだいぶ少ないとはいいながらもコンスタントにレコードは
出していたのにも関わらず、三田の場合は橋以上に吉田作品が見当たらなくなって
しまったのは何故だろうか?
吉田作品が急に無くなるのと、三田にヒットが無くなるのと、紅白落選と、整形問題等が
昭和45年1年間にすべて凝縮しているから、この年の三田の急速な失速ぶりが気にかかる。


279 :昔の名無しで出ています:2008/06/30(月) 18:38:01 ID:XbvDABWM
今のところ最後の紅白出場となっている昭和44年紅白の三田(サロマ湖の空)を見ると、かつての青春歌謡スターの精彩はなく、凋落ぶりが見て取れる。落ちぶれる前に何か手を打っておけなかったのだろうか。あるいは、手は打ってもすでに遅かったのか…。
昭和40年代後半にもヒット曲が出ていれば、現在の歌手としての待遇はだいぶ違っていただろう。

280 :昔の名無しで出ています:2008/07/01(火) 17:00:42 ID:niAc17qN
御三家の場合、とりあえずは70年代に入ってからもヒット曲はあるにはあるが、
(橋→子連れ狼、舟木→初恋、西郷→真夏のあらし)
三田の場合、せっかく「四天王」と呼ばれる位置にまで接近して来たのに、
70年代に入るとヒットと呼べるヒットがほぼ皆無になってしまったのが痛い。
(その意味では、御三家より凋落が激しかったと言える)
「寄り道来た道帰り道」「赤毛のおんな」あたりの曲がもう少しヒットしていれば、
「四天王」という言葉が、その後もっと語られていただろうにね。



281 :昔の名無しで出ています:2008/07/01(火) 21:01:57 ID:AL7uoMVu
玉置宏が三田を含めて「四天王」と称したのは昭和43、4年頃。それから程なく三田がコケたので、実質「四天王」が活躍していたのは3年にも満たない。
その間、橋幸夫主演で四天王が共演した映画「青春の條件」が製作されたり、芸能雑誌では「三田明、御三家と契りの杯を交わし四天王誕生」といった感じの企画物が掲載されたりしたが、「四天王」が定着することはなかった。

282 :昔の名無しで出ています:2008/07/02(水) 17:20:07 ID:1opoJXzV
結局三田の衰退は、「青春歌謡の衰退」や「作曲家吉田正の衰退」と軌を一にした感じだね。
70年代に入ると、青春歌謡や吉田作品で以前のようなヒットがコンスタントに出なくなった結果、
三田がその煽りをモロに喰らった結果ともいえる。
さらに三田のレパートリーに、橋の股旅モノのような認知度の高い特定ジャンルがなかったのが
よけいマイナスに働いたような気もする。


283 :昔の名無しで出ています:2008/07/02(水) 22:36:02 ID:eYMk5Clj
結局吉田正と三田は一蓮托生だったということで…。
70年代に入って忽然と吉田メロディーが下火になった原因として、新たな門下生が育たなかったこともあるが、清楚可憐でこじゃれた吉田メロディーが70年代のニーズに合わなかったことも考えられる。

284 :昔の名無しで出ています:2008/07/03(木) 17:17:19 ID:VZhGKbe1
その点、同じく青春歌謡を書いていた遠藤実は、70年代に入っても森昌子あたりや
千昌夫「北国の春」など、バタ臭い歌謡曲を書き続けたからヒットが続いたわけで、
70年代にもなると歌謡曲の要素として「バタ臭さ」や「アクの強さ」は大事な要素になったんだね。
フランク永井の一連の吉田作品(都会派ムード歌謡)と、ロスプリモスあたりが
歌った都会調ムードコーラスを聴き比べると、吉田作品の都会派歌謡の方が、
サラリとした薄味だということに気付くよ。
吉田門下生は、三田明も含めて全般的に「アクの強さ」や「バタ臭さ」を感じない。

285 :昔の名無しで出ています:2008/07/03(木) 21:05:36 ID:ul5bZHf2
遠藤実はそもそも演歌の作曲家で、吉田正との音楽的な接点は少ない。2人の共通項は青春歌謡と股旅歌謡ぐらいか。
アクのないのが吉田メロディーとその門下生の売りだったわけだが、その分早く飽られたということか。その門下生の中でもさらにアクのない三田の場合は、余計に廃れるのが早かったのだろう。
ただ今となっては、吉田門下生は懐メロ界においてはブランドネームなので、その一員である三田は他の懐メロ歌手よりは恵まれていると思う。

286 :昔の名無しで出ています:2008/07/04(金) 17:11:48 ID:i4yM+exQ
やはり国民栄誉賞受賞が大きいね。
ただ、三田明は門下生では最後の方だけど、先輩に比べてレパートリーの幅が狭いのはつくづく残念である。
フランク永井は都会派歌謡が主流だったけど、三浦洸一や橋幸夫は幅広く吉田メロディーを
歌ってるので、三田も合う合わないは別にしてもっと幅広いジャンルに挑戦しても良かった気がする。
個人的には、吉田の手によるバラード調の曲などを、三田の声でもっと聴きたかったと思う。
(たとえば、「また逢う日まで」あたりは地味ではあるけど、かなり質の高い名曲だと思う)

287 :昔の名無しで出ています:2008/07/04(金) 22:59:14 ID:Nw0ADFjx
三田のレパートリーが狭いのには、デビュー後数年間の三田の歌唱力を鑑みた吉田正が、三田に比較的歌いやすい曲ばかりつくっていたせいもあるのかもしれない。
だが三田は声質が甘いので、幅広いジャンルの曲を歌わせたら橋幸夫よりもよかったのにとは思う。
余談だが万一、三田が遠藤実の門下生になっていたら、遠藤は三田にどんな曲をつくっていただろう。遠藤作品は吉田作品より演歌臭があるので、三田がそれをどのように歌いこなすか、すごく興味がある。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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