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おじいちゃん、おばあちゃんの思い出

1 :大人になった名無しさん:03/12/15 22:09
無いよね?まだ・・・
私にとって、思い出といえばおじいちゃんおばあちゃんなんだけど。
血が繋がってなくても、近所のおじいちゃん、おばあちゃんでもOK

270 :大人になった名無しさん:2006/10/15(日) 17:49:12
吹いたw

271 :大人になった名無しさん:2006/10/15(日) 17:55:34
吹いたスレから誘導されてきますた
こっちは泣けるスレだったんですね

272 :大人になった名無しさん:2006/10/15(日) 18:04:46
おじいちゃーん!wwwwww





………うちのじいじもヅラリンなので笑えない

273 :大人になった名無しさん:2006/10/15(日) 20:06:02
>>268
おもしろい

274 :大人になった名無しさん:2006/10/15(日) 20:13:36
おれのじいちゃんはツルッてたが
鬘なんて被ってなかったぞ


275 :大人になった名無しさん:2006/10/15(日) 20:29:26
クスッときた

276 :大人になった名無しさん:2006/10/16(月) 09:23:56
じいちゃんカワイソスw

277 :大人になった名無しさん:2006/10/18(水) 10:26:58
うちのじいちゃんも北枕気にしてたな。
仏教徒だからだろうか?


278 :大人になった名無しさん:2006/10/22(日) 15:08:26
私の祖父母は、夫婦そろって長生き
祖父は98歳、祖母は95歳になりますよ
今だに畑仕事に精を出してるからビックリする
もっともっと、長生きしてもらいたいな

279 :大人になった名無しさん:2006/10/24(火) 21:16:58
小さい頃からじいちゃんっ子だった。
毎月デパートに連れて行ってくれて、好きなもの買ってくれた。
じいちゃんは大食いで、いつも決まってデパートの食堂で大きな丼に入ったカツ丼食ってた。
俺が泊まりに行くと刺身をたくさん用意してくれて、夜は一緒にTV見て
じいちゃんの隣の布団で寝た。
俺が中学に入ると、部活やらで忙しくなり、じいちゃんと会う機会は徐々に減っていった。
でもじいちゃんは月に2回は週末に菓子や畑で取れた野菜を家に持って来てくれた。
俺は週末は塾で家を空けてたので、じいちゃんと顔を合わすことはなかった。
おふくろから「おじいちゃん『○○(俺)は留守なんだなあ』って寂しそうだった」
と聞いてもふーんとしか思わなかった。
それから俺は高校に入学すると同時に寮に入った。じいちゃんと全く会わない
生活が2年続いた。
ある連休の日、俺は実家に帰っていて、一人で家にいた。車が入ってくる音がし
チャイムが鳴る。ドアを開けたらじいちゃんがいた。じいちゃんなんでこんなに
老けてるんだよwなんでこんなに小さくなってるんだよ。
じいちゃんは俺が長い間会わなかったので俺が自分と会いたくないと思っていたのか
野菜の箱とお菓子を置いてすぐ帰った。まだ帰るなよ、お茶飲んでいきなよ、と言おうと
思ったのに、何も言えなかった。
じいちゃんが帰った後、部屋に篭もって数年ぶりに大泣きした。



280 :大人になった名無しさん:2006/10/26(木) 14:05:28
このスレ見てたら、じいちゃんとばあちゃんが、
すごく大事な存在ということに気づいた。
なんでキライになったんだろう・・・
今は何もしてやれないけど
あと二年したら好きなものいっぱい食わしてやれるから
それまで、生きてくれと願ってます。

281 :大人になった名無しさん:2006/11/05(日) 21:54:21
母方の祖母は近所に住んでるので、良く顔を合わせていた。
父方の祖母は行き返りだけで3日費やす所に住んでるので、
1年に1回会えるかどうかで、また自分は多数いる孫の中でも
最後の方に生まれたので、何となく素直に甘える事のできない遠い存在だった。

母方の祖母に比べると今までほとんど贈り物をした事が無かったけど、
今年は何だか気になって、誕生日プレゼントを贈ってみた。
すると到着して直ぐ、電話が掛かってきた。
耳が遠いので電話が苦手なのに。「ありがとう。ありがとう。」と何度も言ってくれた。
そして「せめてものお返しに」と、自分の畑から取れた野菜をたんまりと送ってくれた。
もう90歳なのに、体力も無いのに、畑で一生懸命いい野菜を見繕ってくれてる
祖母を想像して泣けた。嬉しかった。

遠い存在だからと勝手に垣根を作ってしまってごめんね。
これからはどちらのおばあちゃんも、平等に接していきたいと思います。

282 :大人になった名無しさん:2006/12/11(月) 01:01:35
おじいちゃんが亡くなって今日で1週間です。
血縁者の中で多分、おじいちゃんが一番好きだったし
尊敬してた。私のおじいちゃん、人命救助で新聞にも載った
ことがあるんだよー。ずっと仕事をしてたけど、
最後は病気で苦しんでたから、天国でまったり愛犬と過ごせていれば
いいけど。本当に長い間ありがとう。楽しかったです。

283 :大人になった名無しさん:2006/12/11(月) 23:43:09
このスレ、いいなぁ。
みんな、じいちゃんの思い出がいっぱいつまってるんだな。
俺も、大好きなじいちゃんがいた。
長くなるけれど、じいちゃんの事を書かせて欲しいと思う。



うちのじいちゃんは、頑固で短気で、けっこう近寄りがたかった人だった。
女遊びが激しくてばあちゃんを泣かせていた。うちには余りお金も入れず、遊び歩いていた時期もあったりした。
ばあちゃんはじいちゃんの愚痴をよくこぼしては涙ぐんでいた。
俺はあまり、じいちゃんを好きになれなかった。


でも、じいちゃんはずっと勤めてきた会社を定年退職して、ばあちゃんといつも2人でいるようになってから、
いろいろ出かけるようになってから、少しずつ笑顔も増えて、優しくなっていった。
山に山菜取りに行くのも一緒、映画を見るのも2人で、ファミレスに入って2人でクリームソーダも食べたらしい。
まるでばあちゃんとの欠けた時間を取り戻すかのような、どんどんまるくやさしくなるじいちゃんが、俺は好きになった。

毎週日曜日はお菓子を持って遊びにいく。犬の顔をごつごつした手で撫でながらじいちゃんはにこにこ笑う。
このころまでは、まだ元気だった、じいちゃん。

おかしいな、と気づいたのは、学校のバスが故障で送ることができなくなって、迎えを頼んだときだった。
軽トラで迎えに来たじいちゃん。
学校を出てすぐの信号が赤だ。赤なのに止まる気配が無い。そのまま、通過した。
「今、赤だったよ?」といっても「おっ、いけね、わからなかった」というじいちゃん。
そのときは、あまり気に留めていなかったけど、ここからじいちゃんはおかしくなっていった。

長くなりそうだから続く。すまない


284 :大人になった名無しさん:2006/12/12(火) 00:00:58
>>283です。続き。

夜中に電話がなった。おじさんからだった。
じいちゃんは、ばあちゃんとおじさん(じいちゃんの息子)の3人暮らしだ。
じいちゃんが夜中に暴れたという。叫んで、暴れて、おじさんが力ずくで止めたという。
次の日には、じいちゃんは腰が抜けたようになり、自力で立てなくなった。
トイレも、ばあちゃんに捕まえてもらってやっとの思いでいく。自分ではズボンも上げ下げできない、拭けない。

心配になり、じいちゃんのところへ行った。
「じいちゃん。」
じいちゃんは着物を着せられて座っていた。
俺が話しかけると、明らかに、俺がいないほうをみて「だ、だれだ」といった。
「じいちゃん、わかんないの?」俺がもう一度話しかけて、やっと「○○か?」といってくれた。
でも、じいちゃんは目なんて悪くない。耳も悪くない、はずだ。でも、
「誰が来たか、わからんかった」
じいちゃんはそうつぶやいた。

検査入院のためにじいちゃんは病院にいくことになった。そこでじいちゃんは悔しい思いをする。

うまく身体が動かなくなったじいちゃんはベッドの上で看護師さんの介助で、ごはんを食べることになった。
目もよく見えなくなっていたので、じいちゃんはおかずの魚をうまく取れず床に落っことした。
看護師さんは、落ちた魚を、そのまま皿に戻したらしい。
じいちゃんは、完全に目が見えていないと思われたのにカッとなって、看護師さんに腕を振り回してしまった。
「困ります、暴力を振るわれるのは」おじさんは看護師と医師からそう怒られたらしい。
でも、じいちゃんは悔しそうに俺らに話して聞かせた。このことを。
俺はじいちゃんのほうが正しいと思ったのだが、この日からじいちゃんは暴力的で危険な患者として扱われることとなった。
そして下った診断は、アルツハイマーだった。


病院にいてもよくならないから、と退院させられたじいちゃん。
日に日にじいちゃんはじいちゃんではなくなっていった。
目が見えなくなり、耳も聞こえなくなった。完全に昼夜逆転し、夜はおじさんとばあちゃんが寝ずにじいちゃんに付いた。
ごはんも食べられなくなり、言葉もしゃべらなくなり、ひたすら「こわいよーこわいよー」と何かに怯え、子供のように泣いた。
病院に連れて行くときも、暴れるのを大人四人で押さえつけて連れて行った。
再診断結果は、クロイツフェルト・ヤコブ病だった。

285 :大人になった名無しさん:2006/12/12(火) 00:16:19
>>284の続き。

即入院させられたじいちゃんは、ヤコブ病特有の退行していく意識のなかで、幼児から赤ちゃんまでさかのぼり、言葉は「あー」としかいえなくなった。
ごはんも、鼻から管を入れて無理やり流し込まれてた。やられるたびに、苦しげに冷や汗を流していた。
見舞いに行くたび、じいちゃんの病室は、なんだか異様な匂いがするようになった。

骨と皮だけになったじいちゃんの指は、いつにもまして黒く、ごつごつしている。
動かない手を、ずっと握ってあげた。その手はいつも暖かかった。

そして、、じいちゃんが危ないと連絡があった。
駆けつけると、ゆっくり、はー、はー、と浅く息をつくじいちゃんが、こっちをみつめていた。
あの異様な匂いが充満するなか、意識はもうとっくの昔に無いのに、はっきりとこっちを見ていた。
たまらなく悲しくなって、またいつものように手を握った。冷たかった…。
涙が抑えきれないほど溢れて止まらなかった。
苦しいよな、じいちゃん…楽になりたいんだよな…
じいちゃんは、次第にぼんやりと宙を見つめていった。

昼過ぎ、じいちゃんは逝った。まだ六十歳だった。

内臓はほとんど朽ちて、脳ももう息をしているのが不思議なくらい、やられていたらしい。
じいちゃんの血と骨髄は、ヤコブ病の研究のため、採取された。死んでからも、痛いことをされているようで、俺は嫌だった。
ヤコブ病は特異な病気なため遺体はすぐ荼毘にふされ、密葬という形でお骨になってから行った。


じいちゃんがおかしくなってから、死ぬまではわずか二ヶ月ほどだった。

怖かったじいちゃんがやさしくなって、嬉しかったのに、なんで、こんな病気にかかってしまったんだろう。
いまだにばあちゃんは出先で入ったファミレスの、メニューの隅に載ってるクリームソーダをみると、
2人で食べに行った思い出が忘れられずに、じいちゃんを思い出して涙ぐむ。
だから、俺もクリームソーダは、なんだか悲しい気持ちになるから、苦手になった。

・・・長くなってしまってほんとにごめん。
でも、俺のなかで駆け抜けていったじいちゃんという存在は、いつまでも忘れない。

286 :大人になった名無しさん:2006/12/23(土) 14:29:20
良スレはホシュ

287 :大人になった名無しさん:2006/12/23(土) 20:46:59
あれ?目から水が流れてくる(ToT)/~~~

288 :大人になった名無しさん:2006/12/26(火) 03:26:38
おばあちゃん、去年の11月になくなった。
母親と仲悪くて、母親がおばあちゃんに意地悪していた。
力も弱い老人を虐めるなんて最悪な親だ、私は母親を恨んでいる。
今でも・・・自分がおばあちゃんになった今、孫に囲まれ楽しそうに
している姿を見ると憎しみを感じる。私はおばあちゃんに可愛がられて
育った。きっと孫が可愛いのはどこのおばあちゃんもそうだろう。
それを10年以上前に母親が厄介者扱いして追い出した。母親に殺気を覚えた。
お前がお婆ちゃんになったら追い出してやる、とも思った。
結局おばあちゃんは親戚の家に引き渡され、最後は老人ホームで老衰のような
状態でなくなった、90歳だった。
半分信じられなかった。おばあちゃんが生きていたということも正直驚いていた。
なんで探して会いに行かなかったんだろう・・・
おばあちゃん、本当にごめんなさい。毎年お墓参りはいきます、おじいちゃんと
一緒にゆっくり休んでください。何も出来なくてごめんね・・ごめんね・・・
母親の顔をみると、全身の毛穴がムズムズしてきてものすごい不快感を覚えている。
これは私が中一の時から変わらない。自分の事と体裁しか考えない自分勝手な女。
おばあちゃんを追い出した後、しきりに話しかけてくるようになった。上機嫌で・・
私はアンタがいなくなって欲しいよ。世の中お婆ちゃん子とかオジイチャン子とか
色々いるんだよ。全てお前の言うとおりにならないんだよ。
自分になつかないから、おばあちゃんを追い出してうまくやろうと思ったのかもしれないけど
逆効果だよ。アンタが死んでも得体の知れない恐怖感が頭をよぎる程度で
悲しみはまずないだろう。残念だけど、弟に期待してくれ。
弟とは仲良しこよしでなつかれてるんだからいいだろ?これ以上の我侭は
ゆるされないよ?おばあちゃんが亡くなっただけでこっちはお前に対する憎しみが
また倍増したんだから・・
長文スマソ

289 :大人になった名無しさん:2006/12/31(日) 23:33:13
test


290 :大人になった名無しさん:2007/01/15(月) 23:27:28
age















291 :大人になった名無しさん:2007/02/05(月) 00:15:29
おじいちゃんは、ずっと入院してたから、先に逝くのはおじいちゃんだろうと思ってて
まさかおばあちゃんが死ぬなんて、想像もしてなかった。

小学校の時に両親が離婚して、父親が再婚して新しい母親ができて
おとなしかった私は、反抗期も甘えも全部、おばあちゃんにぶつけていた。

おばあちゃんは、私の事を怒ったりもしたけど、とても優しくて、いつもそばにいてくれた。

親とうまくいかなくて、大学に入ってからは、おばあちゃんちに住んでいた。
夜遊びして夜中1時すぎに帰っくると、おばあちゃんはウトウトしながら起きて待っていてくれた。
私は、後ろめたい気持ちもあって「先に寝ててって言ったじゃん」って怒った。
おばあちゃんは「せっかく待っててあげたのに」って怒ったけど、それから2人でケーキ食べて寝た。

おばあちゃんがいる毎日は幸せで、でも、バカな私はそんな事全然気づいてなかった。

お正月あけた時にふとした事で大ケンカになって「うるさい!どっか行って」って怒鳴った。
おばあちゃんは泣いてた。
その後、ちゃんと謝れないまま、おばあちゃんは叔母ちゃんちに泊まりに行った。

292 :大人になった名無しさん:2007/02/05(月) 00:16:06
1週間くらいしておばあちゃんが帰ってくる日、
私はスポーツジムに行こうとしてて、玄関でちょうど帰ってくるおばあちゃんに会った。
私は急いでいて、あんまり話もできなかったから、帰る時にケーキでも買って帰って、こないだの事を謝ろうって思ってた。

でも「疲れたからお風呂はいる」って言ってたおばあちゃんは、そのままお風呂の中で死んでしまった。
(あとで聞いたら確か脳卒中だったと思う)

スポーツジムから出た私のポケベルに、お父さんからの連絡があって、
公衆電話でおばあちゃんが死んだって聞いた。

私の成人式を楽しみにしてたおばあちゃんは、その姿を見ることもできなかった。
就職したら、一緒に旅行とか連れて行こうと思ってたのに、なにもしてあげれなかった。

なんで、あの時、一緒に家にいてあげなかったんだろう。
そしたらおばあちゃんは、死ななかったかもしれない。

あれから10年以上たつけど、いまだにおばあちゃんの事を思い出すと涙がでてくる。
おばあちゃんがいなくて、寂しい。寂しい。寂しい。


おばあちゃん。あの時はごめん。
ばかな孫でごめん。なにもしてあげれなくてごめん。
ずっと守ってくれていてありがとう。いつか私が、歳をとって死んだら、また一緒にいてください。
それまで頑張るから、天国から見ててください。

293 :大人になった名無しさん:2007/02/07(水) 13:46:39
ハゲ始めて外にでるのも億劫になって半引きこもり状態
だったから気晴らしに久しぶりに実家に帰ってきた
相当実家に帰ってなかったからついでにじいちゃんにも会って来た
もうほとんど歩けないくらいに体が弱っててちょっと寂しかった
「俺さぁ最近禿げちゃったんだ〜」ってじいちゃんに言ったら
じいちゃんはこう言った「ハゲには偉い人が多いんだぞ」
って。俺のじいちゃんはハゲてはないけどな

そのじいちゃんがこの前亡くなった
何かそこで吹っ切れた気がした
俺に最後のアドバイスをしてくれたんだと思う
少し前向きになれた


294 :大人になった名無しさん:2007/02/07(水) 18:46:40
なんか書いてたら長くなったんでスルーしてくれ

おれんちってじいちゃん、ばあちゃんも一緒に住んでたから
親姉弟合わせて7人家族だったんだよね
一緒って言っても渡り廊下で棟が並んだ家だったんだけど
で俺と上の姉貴達とはちょっと年が離れたんで、
朝の活動時間がちょっとずれるわけよ

そこで俺だけ隣の家に行ってジジババと一緒に朝ごはん
大体8:15から食べ始めてた
今のテレビでテレ東の再放送アニメ(タイムボカンシリーズ)とか
フジのポンキッキー見てるんだけど
いざ食事が並ぶとちょうど「おしん」
幼稚園児がおしんなんて面白いと思うわけないじゃん?
しかもアニメとか途中だし
でも否応なしにおしん見せられてたけどね

朝食は基本的にじいちゃんが作ってくれてた
ばあちゃんは脳溢血で倒れたから右が不随だったんだけど
ご飯炊くのは絶対ばあちゃんの役目だったみたい
今更思うとすげえ気丈な人だったなぁって思うな
で、話戻ると
じいちゃんがおかずやら味噌汁やら作ってくれたんだけど
じいちゃんの卵焼きってしょっぱいかったのね
お陰で未だに卵焼きはしょっぱくないと納得いかない
お袋が作る卵焼きは甘いんだよ
で甘くないので頼んでも、当たり前だけどじいちゃんの味じゃない
三つ子の魂・・・多分一生あの味には会えないんだろうなぁ

もし最後の晩餐は何がいいって言われたら
ばあちゃんの白米とじいちゃんの卵焼き
ってお願いしたい

295 :大人になった名無しさん:2007/02/07(水) 20:09:38
>>294
全米は泣かないかもしれないが、
少なくとも俺は泣けた。・゚・(ノД`)・゚・。

296 :大人になった名無しさん:2007/02/08(木) 00:02:20
長いけどなんか書きたくなったんでごめん

大好きな おじちゃん
俺 もうすぐ結婚するよ
家事はあんまりできねーけど、かわいくてやさしい子だよ

俺が20歳のころ遊ぶのが楽しくて一緒に住んでいたのにあんまり話さなかったよな
おじちゃん 海に連れて行けなくてごめんな
後から叔母さんに聞いたよ 一緒に海行きたかったんだよな

俺が親に買ってもらった車でスーパーに買い物行ったよな
糖尿病だったから健康食品買ったりしてね

俺が中学生の時に一回も腕相撲勝てなかったの覚えてる?
畳職人だったおじちゃんはめちゃくちゃ強かった
柔道も剣道も強かった

母ちゃんに内緒でいっぱいおもちゃ買ってくれたよね
聖闘士星矢買ってもらった

早くして息子を亡くしたおじちゃん
俺が生まれたとき俺のこと“宝”だって言ってくれたんだってね
葬式の時に母ちゃんから聞いたよ

じいちゃんが倒れた時も遊びに行ってた俺
めちゃくちゃ馬鹿だ

脳梗塞で入院して御見舞に行った時
言葉は出ないのに俺が来たら顔をくしゃくしゃにして笑ってくれたよね

男らしくってやさしいおじちゃん
返ってこないとわかっていてもお金を貸すおじちゃん
孫に甘いおじちゃん
飲んじゃだめなのに酒飲んで怒られたおじちゃん

葬式のとき坊さんに言われた
人は人の命を喰らって生きてるんだって
俺はおじちゃんの命を家族の命を喰らって生きてんだよな
だからこの命を子供に孫に喰らってもらえるように精一杯生きるわ

あと 俺消防士になったんだぞ 少しでも人の役に立ちたくて
まだまだおじちゃんの足元にも及ばないけどね

俺はおじちゃんのような男になりたい
俺の子供におじちゃんの名前を一文字もらいます
おじちゃんのように真っ直ぐ やさしく育ってほしいから


297 :大人になった名無しさん:2007/02/08(木) 00:03:19
大好きな おばちゃん
俺 もうすぐ結婚するよ
家事はあんまりできねーけど、かわいくてやさしい子だよ

おじちゃんの看病ご苦労様
自分の体もボロボロだったのにね
ごめんねおばちゃん

小さい時からずっと一緒だったよね
保育園に迎えに来てくれたり病院に連れてってくれたり
馬鹿でわがままな俺を大切に大切に育ててくれてほんとにありがとう

おばちゃんの作ってくれたごはんあんまり食べなくてごめん
仕事帰ってきても肉がいいとか言ってほんとにごめん
わがまま言って困らせてばかりだったよね

おじちゃん死んでから自分なりに考えてなるべく一緒にいたかった

一緒に畑にいってジャガイモつくったり、ネギつくったり
余命半年の人があんなに一生懸命働いて
つらい顔なんて見せなかったけどほんとはいたかったしこわかったろ

畑の帰りにパンクした自転車で二人乗りしたよね
畑の帰りに近所の人に俺のこと自慢したり
俺はそんなに立派じゃない ただおばちゃんが大好きだったんだよ

消防士合格しても心配してたよね 危険な仕事だからって
危険な仕事だけど毎日頑張ってるよ

亡くなる2日くらい前に痛くて辛くてうめき声だしてたのに
俺が病院から帰る時に「気をつけて帰れ」って 最後まで俺の心配して
今でも天国で心配してんでしょ?

最後の入院の時 おばちゃんが毎日来てもらって悪いって言ってさ
俺はおばちゃんに世話になったからいいんだよって それしか言えなかった
ありがとうってずっと素直に言えなくて
もう最後なのに言えなくて

わがままで生意気で体が弱くって人一倍手のかかった孫だったよね
こんな俺でも見捨てないで育ててくれてありがとう

大好きだよおばちゃん 言葉に出来ないほど感謝してます
精一杯生きるから 俺がそっちに行く時はまた甘えてもいいですか?


298 :大人になった名無しさん:2007/02/08(木) 00:59:04
亡くなった婆ちゃんの遺品を整理してたら、
大事そうに、絹のハンカチに包まれた古い写真と手紙がでてきた。
戦時中の戦闘機パイロットらしき格好をした、笑顔の若い男性と、達筆な文字で几帳面に書かれた手紙。

その男性は、明らかに祖父とは違う人物。

伯母に聞いてみると、
戦争末期に学徒出陣で特攻隊となり、沖縄で戦死した祖母の初恋の人だったそうだ。

299 :大人になった名無しさん:2007/02/08(木) 01:32:08
私が小学生の頃、
おばあちゃんがどこかの神社でもらったらしい大事にしてた5円玉が無くなった。
何故か私が盗んだのではと疑われ尋問された。
その日の夜、おばあちゃんが呼吸困難で近所の市立病院に運ばれた。
レントゲンをとったら喉にくっきり5円玉が写っていて、それが原因だったらしい。
昼間おばあちゃんが甘納豆と一緒に誤って飲み込んだのだそうだ。
あれから11年、おばあちゃんはいまだにあの時の事を謝ってくれない。

300 :大人になった名無しさん:2007/02/08(木) 13:08:46
>>298

何十年経っても、亡くなった初恋の人の事が忘れられなかったんだろね

なんかセツナイ話だな…

301 :大人になった名無しさん:2007/02/12(月) 17:53:01
携帯からの長文なので、読みにくかったらヌルーしてやって下さい。



おばあちゃん、私の成人式を見届けて、その夜に亡くなった。体は弱ってたけど元気だったのに。
私は末孫だったから、ばあちゃんは嬉しくて、私がいない間に色々な人に報告の電話かけてたらしい。お葬式でそのことを知った。


命日から一ヵ月、アルバム見てたら、まだ若いおばあちゃんに抱かれて写ってる私のお宮参りの写真があった。
それを見てたら堪えてた涙が止まらなくなった。
去年の敬老の日、バイトもしてなくてお金が無かったから、手作りで渡したお手伝い券、大事にじいちゃんの仏壇に飾ってくれてたね。半分はシャレのつもりで作ったから、ちょっと照れくさかったんだよ。
まだ恩返しも何もできなかったけど、お手伝い券の有効期限はずっとだから。
これから頑張るから、心配しないで見守っててね。

302 :大人になった名無しさん:2007/02/18(日) 14:16:15
小さい頃、親に怒られるとよく物置小屋に閉じ込められたんだけど、いつも暫くするとばあちゃんが出してくれた。
泣きわめく俺をおんぶしてばあちゃんの部屋まで連れていってくれた。
その時のばあちゃんの背中大きくて温かかったな…。

303 :大人になった名無しさん:2007/02/26(月) 11:24:18
他スレで叩かれたから避難…携帯からだから、読みにくかったらスルーして。

大好きだった爺ちゃんが3年前無くなった。今でも会いたいって思う。死因は急性白血病。厨房時代いじめられていたオレは泊まりがけで爺ちゃんの介護に言った。いじめに遭わなくて良いし、爺ちゃんとずっと一緒に居られるから楽しかった。

304 :大人になった名無しさん:2007/02/26(月) 11:27:27
でもそんな中爺ちゃんの娘息子の中が険悪になり、病状は更に悪化。挙げ句オレは介護をしなくて良いと引き戻された。息子(伯父)は家に居着かず介護に協力はしないし、母は金銭的に苦しくあまり来れなかった。この時生まれて初めて、

305 :大人になった名無しさん:2007/02/26(月) 11:29:35
母を憎んだ、母はオレ達の為に働いてくれてただけなのに…ごめん。でも伯父だけは許さない。病気前、爺ちゃんの年金で無駄吠えするバカ犬を飼いやがった。その世話までオレに押し付けた。帰って来たら来たで、文句ばかり。

306 :大人になった名無しさん:2007/02/26(月) 11:34:00
まあ爺ちゃんの病気はタダでさえ悪かった家系をズタズタにしたよ。オレは全く気にしないけど。そうして数年後、爺ちゃんはオレの高校入試に受かったその日に静かに息を引き取った…。

数日後、葬式で遠くからはるばる爺ちゃんの兄弟達がやって来た。聞けば爺ちゃんは若い頃かなり荒れていたらしい。でもその後は真面目にやってたろうし、兄弟達がどんなに思って様とオレにはたった1人のかけがえのない爺ちゃんだ。

307 :大人になった名無しさん:2007/02/26(月) 11:37:56
エピローグ
伯父は祖父が亡くなってからは、人が変わった様になった。お墓を探したり、授かった1人娘に爺ちゃんの名前の一部を付けたり…だけどそう思ってんなら生前に優しくしてやれよな…
以上

308 :大人になった名無しさん:2007/03/23(金) 01:25:09
去年の12月いきなり亡くなったおばあちゃん。
その一ヶ月くらい前から体調悪いのは知ってたけど、みんなただの風邪やろうて思ってた。
もう結構歳いってたし、風邪が長引いてるやろうって。
でも本当にしんどかったんやってみんながわかったのは、おばあちゃんが亡くなってから。

80過ぎても元気で、車の運転もしてた。
夏休みにお父さんと二人で遊びに行ったら、駅まで車で迎えにきてくれて、すごい頼もしかった。

高校生になってからは1度も会ってない。部活で忙しいとか、家が遠いのとかを理由に
1度も遊びに行かなかった。
それでもおばあちゃんは毎年お正月にお年玉を送ってくれた。
わたしはそれを何も考えずに、自分のために使ってた。

おばあちゃんが亡くなってから、おばあちゃんの家には誰も住む人がいなくなるので
長男であるうちのお父さんがお仏壇を家に持ってきて、置いた。
毎日寝る前、お線香をあげていた。

ある日、お仏壇の前に葉書が何枚かあるのに気づいた。
見たら、おばあちゃんの年金の額が書いてあった。
びっくりした。

こんなんでどうやって生活してたんやろうってくらいの、少ない額。
お父さんが少しは援助してたって聞いたけど、それでも絶対生活に困る。

そやのにおばあちゃんは、毎年、ちゃんとお年玉をくれた。それだけじゃなくて、
たまにおこづかいも送ってくれた。
添えられてた手紙にはいつも「少なくてごめんね」って書いてあった。
おばあちゃんは必死に生活を切り詰めて、孫5人全員に、お年玉を送ってくれてた。
何で何も考えずに使ってたんやろう・・・。。
大事にとっとけばよかった。

離れて暮らしててもいつも気にかけてくれた。
もっと電話で話せばよかった。
もっと手紙書けばよかった。
高校の制服姿見てほしかった。
大学受かったことも、将来看護師になろうと思ってることも話せへんままやった。

今になってやっとおばあちゃんがいなくなったこと実感して、おばあちゃんが
どれだけ自分たちを愛してくれたかわかった。

気が強すぎて、妹と仲良くできへん私を、おばあちゃんは心配してた。
「優しい人間になりなさい」って言った。
ごめんねおばあちゃん。
おばあちゃんに言われたとおりの人間になるには、まだまだ時間かかると思うけど
4月から大学生になって、がんばって看護学を勉強して、
たくさんのお年寄りに慕ってもらえる看護師になります。

ありがとうおばあちゃん。


309 :大人になった名無しさん:2007/04/20(金) 00:03:23
304泣いた

310 :大人になった名無しさん:2007/04/20(金) 17:03:55
みんなのおじいちゃんイイ人で裏山シス

311 :渡辺 はま子:2007/04/21(土) 21:45:20
見るからに80歳は超えている婆さんが尻をめくって立ったまま小便をしていた。
女性でも立ちションが出来るンですね! 我が家の花壇に肥料をあげてくれて有難う。


312 :大人になった名無しさん:2007/04/23(月) 16:07:32
おとついの夜おじいちゃんが亡くなった
別々に暮らしていたし、高校生から8年ほど会っていなかったから
聞いたときに「そうなんだ」ぐらいにしか思えなかった。
でも、昨日の夜からずっと小学校のころに一緒に畑に行った思い出や
ご飯残して怒られた思い出、いろんな思い出が涙と一緒にあふれてくる。

なんでかな、涙がとまんないや

313 :大人になった名無しさん:2007/05/03(木) 00:02:27
うちのじいちゃんは透析してた。そのせいか、うちの親はじいちゃんが病原菌をいっぱい持ってるからじいちゃんが触ったモノは食わせないようにされてた。
そんなある日(俺の14歳の誕生日)、晩ご飯はステーキだった。俺の大好物だ。
じいちゃんは俺の隣りに座っていて、嬉しそうに俺の事見てた。
楽しく喋りながら食べてたら、じいちゃんが急に俺の皿に自分のステーキを2切れ置いてくれた。
俺は正直悩んだ。 食べて良いものか、病気は移らないか、等々。
ふと親を見ると微妙な顔で俺を見てた。 それに腹が立って、俺は食べた。飛び切りウマそうに。
じいちゃん嬉しそうだった。
じいちゃんは世間からは偏屈であまり好かれてなかったし、うちの家族の中でもちょっと浮いてた。
でも、俺が正月の朝に家族の誰よりも早く起きて、じいちゃんの耳元で大声で(じいちゃん耳遠かった)
「明けましておめでとう!!」
って言ったら、俺に
「お前が一番か。じゃあこれやろか」
といって、1000くれるようなじいちゃんだった。

そんなじいちゃんが死んだ。
俺が高校受験の時で、公立高校の合否待ちの時だった。
親は
「タイミング悪過ぎやわ。これから金かかるのに」
と不満そうだった。
葬式が終って、遺品整理してる時に写真があった。
それには風景がいっぱい撮ってあった。 その中に一つ、俺とじいちゃんの写真があった。それは俺がふざけて撮った写真で、じいちゃん、触りまくってたみたいで角は曲がってるし、手垢で裏面は茶色くなってた。
それを見つけた時初めて悲しくて泣いた。

駄文ですまん。 思い出した事を片っ端から書いてたらこうなってしまった。
これでも書き足りない。

314 :大人になった名無しさん:2007/05/09(水) 20:22:30
うちの母はあまり色んな事を話してくれない性格。
だから昔の話とかは母の姉である叔母さんから聞くことが多い。

そして、耳にした事実。
おばあちゃんはおじいちゃんが亡くなった後も一人で住んでた。
通ってた高校の近くに家があったので、帰りに寄ってオヤツ食べたり。
(そんな頃はお小遣いもアテにしてたりしてw)
とても元気でいつも優しい、大好きなおばあちゃん。
それを遠方に住む長男が引き取って暮らしてるうちにボケて施設にはいってた。
年も年だしボケたのもしかたないのかな・・・と思っていたらそうじゃなかったみたい。
知らない土地で狭い部屋に閉じ込められて・・・。
粗相してしまった時、冬の寒い時期に水のシャワーを浴びせられて・・・。
 ↑
これはその長男の嫁がいかに介護が大変なのかを周囲に話してまわったらしい。

なんで、あんなに優しいおばあちゃんがそんな目にあいながら最期を迎えなきゃいけなかったのかと思うと、
ツライよ。涙が止まらない。

みんながここでほんわかとした思い出話しをしてる中、
こんな話しでごめんなさい。
でもおばあちゃんと過ごした楽しい時を私は絶対忘れない!!
おばあちゃん、ありがとう。

315 :大人になった名無しさん:2007/05/10(木) 05:03:16
先日、祖母が亡くなった。94歳だった。
大往生だと他人は言う、けど最後はそんな安らかなものじゃなかった。

あんなに人が苦しんでいる姿、見た事なかった。
息ができなくてどんなに苦しかっただろう辛かっただろう・・・

主治医は不在、看護師さん達もみんな若く経験不足だったのか、
付き添っていた私に焦って『他の家族も呼んで』と言われたのは既に心停止した後だった。
一体何なの?!
危篤の症状見逃したの?!
今思えば、臨終間近のサインであるらしい下顎呼吸を始めて
意識もなくなったのに啖の吸引したりしてたし。
その後2〜3分で息が止まり死んじゃった・・・
納得できないよ
まだ大丈夫だって言われたから、交代して親を家に帰してしまった所だったのに。
ごめんね
もっと私に知識があれば看護師さんに注意したり皆に見看られて逝けたのにね

結局死に目に立ち会えたのは私だけだった。
優しくていつも穏やかで微笑んでたおばあちゃんがこんな目に会うなんて。
いなくなったなんて、まだ信じられないよ。
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
ごめんね

怖がりな私のために、昼間に逝ってくれたおばあちゃん
寝ぼすけの私が来るまで苦しいのに待っててくれたよね

ごめんね
本当にありがとう
おばあちゃんの孫に生まれてこれて幸せだった

316 :大人になった名無しさん:2007/05/17(木) 10:50:08
大好きだった祖母が亡くなったのは二年前の時でした
祖母は喘息で入院をしていて二日後に退院する予定だった
家からの電話で祖母が危篤と聞かされたときはショックで頭が真っ白だった
私が病院に来た時には既に祖母は死んでいた
その時の祖母の手が冷たかった事は今でも鮮明に覚えている
前の日はあんなに元気だったのに…
毎日お見舞いに行ったのにこの日に限って仕事が忙しくてお見舞い行けなかった
とても悔しかった

クリスマスや誕生日の時は私が頼んだ物をプレゼントしてくれた祖母
私の就職が決まった時に一番喜んで嬉し泣きまでした祖母
悩みを相談したら誰よりも真剣に聞いてくれた祖母

そこまでしてもらったのに私は祖母に何一つお礼も出来なかった
最期に一緒に居てあげる事すら出来なかった…
今でも思い出すと涙が出そうになるよ…
ごめん…おばあちゃん…本当にごめんね…

317 :大人になった名無しさん:2007/05/23(水) 18:21:19
何このスレ
泣ける話ばかりじゃねぇかよ…('A`)

318 :大人になった名無しさん:2007/05/24(木) 04:11:19
うーんやっぱりおじいちゃんから貰った戦前の辞書は宝物だなぁ
古書価はあんま高くないようだけど
今読んでも十分使えるし

今年90だったかな
長生きして欲しいなぁ
足とか大変そうだけど

319 :大人になった名無しさん:2007/05/27(日) 01:44:14
父の伯母が近所に住んでいて、おばあちゃんと読んでいた。
私や兄をとても可愛がってくれていて、母もおばあちゃんのことを悪く言うこともなかったし、慕っていた。
私が結婚・妊娠した頃、おばあちゃんの癌が見つかりベッドで過ごす日が続いた。
森山良子さんのファンで音楽を聴いていたので、そのつながりで森山直太朗のアルバムを貸したら
「夏の終わり」が気に入ったらしく、少しでも元気になればとシングルをプレゼントした。
おばあちゃんはすごく喜んで、毎日のように聴いていたらしい。
葬式の後、おばあちゃんの娘さんが遺品を整理するという名目で、母と私がお茶のみに誘われた。
そのときに娘さんから「これ、(私)ちゃんに。」と安産のお守りを頂いた。
他の遺品を見つつ母と娘さんが泣きながらおばあちゃんの思い出を始めた。
おばあちゃんの旦那さんは妊娠中に太平洋戦争で兵隊に取られ、一度沖縄から手紙が来たっきり行方不明。
今も遺骨が見つかっていない状態。
生活のため夫が戦争で亡くなったと届出を出したものの、旦那さんがいつ帰ってきてもいいように服や布団をきちんと用意して
駅や家の玄関には特に注意を払っていたとか。再婚話があっても断わっていたよう。

今年、たまたま森山直太朗のコンサートに行く機会があり
「夏の終わり」が戦争のことをテーマにしていると知って涙が止まらなくなった。
歌詞の内容がおばあちゃんと重なり、どんな気持ちで何十年と旦那さんを待っていたか
と思うと切なくなった。
あの世でおばあちゃんが旦那さんと逢えていて欲しい。




320 :大人になった名無しさん:2007/06/05(火) 12:37:30
>>319
そうだね。。。涙そうそう

321 :大人になった名無しさん :2007/06/19(火) 14:52:14
がばいばあちゃん

322 :大人になった名無しさん:2007/06/23(土) 18:27:48
>>314 年寄り大切にしない奴は本当にムカつくよな。

323 :大人になった名無しさん:2007/06/28(木) 23:36:30
記憶にはないんだけど、
幼い頃は日中、母の実家に預けられていたらしい。(共働きだったので)

古い引き戸の戸を開けて
「おば〜ちゃ〜ん!ただいま〜!あのね〜おじいちゃんとね〜○○公園で鹿見てきたよ〜」と
玄関口でクツを脱ぐ間ももどかしく話し続けていると
家の奥から小走りに
「そ〜かい〜。よかったね〜」と出てくるおばあちゃんの姿。

なんでかいまだにそのシーンを鮮明に覚えてる。
もう数十年も昔の話。
大好きなおじいちゃん、おばあちゃん、今頃は向こうで仲良く暮らしているのかな?

324 :大人になった名無しさん:2007/07/02(月) 21:48:25
七夕が近づいてきた。明治世代を筆頭とした三世代家族だったが
普段キツイお祖母ちゃんが七夕の短冊のためのコヨリを作るのが凄く綺麗で上手だった。
子供心に魔法のように見えた。三人いる孫のために目の前で大量に作ってくれた。
不器用な人だけど、孫の事(特に内孫)かわいく思ってくれていたんだなと思う。

もうそのお祖母ちゃんもお祖父ちゃんもこの世にいない。

325 :大人になった名無しさん:2007/07/12(木) 17:11:01
大学に入る前、俺が高3の時に父方のじいさんがガンで死んだ
ウチは共働きでひる両親がいないんで、父の実家から幼稚園・学校に通っていた。
幼稚園なんかは毎日、終わったら自転車で迎えに来てくれていた
そんなわけで、じいさんばあさんと一緒にいる時間は長かった。

友達には怖いじいさんで有名だった。親父も見た目は怖かったが、じいさんは何度も怒鳴っているのを目撃されている。
もちろん怒らせなければ気のいい人だが、怒った印象はやはり強い。

そんなじいさんが、高2の時に肺炎になった。親父達も諦めていた中、じいさんは見事に復活した。
親族全員が驚きと喜びで油断していた、その次の年だった。

肺癌が見つかった時には、既に全身に転移していたようだ
大学病院に入り、抗癌剤治療を始めた。じいさんは口内炎だらけになり、やせ細っていった
薬のお陰で意識ももうろうとし、あんなに元気だったじいさんは遂に心まで壊した。
常に付き添っているばあさんに噛みつき、息子である親父を殴り、弟に「おまえや知らん」とつばを吐いた


でも、俺だけは違った。
毎日、「S(俺の名前)を遊園地に連れてってやらな・・・温泉に連れてってやらな・・・」と言っていたらしい
実際、急にばあさんから電話がかかって「じいちゃんがSに会いたい、こづかいやるって」と言われることもあった
まっとうな思考能力がなくなっても、俺にあげるためのこづかいを置いた場所は覚えていた


じいさんは、大好きな阪神の優勝も、俺が地元の国立大学に受ることも知る前に逝った。
最後の言葉は聞いていない。学校で急に先生から「おじいさんが亡くなられたと電話があった」と言われた。
親戚はたくさん亡くなっている。が、これだけ近い人間が死ぬのはそう経験したことがなかった。


一週間後、夢にじいさんが出てきた。俺は遊園地で遊んでいた。じいさんは嬉しそうに笑っていた。

326 :大人になった名無しさん:2007/07/13(金) 05:16:30
小5の冬休みに毎日かなり朝早くにおばあちゃん家に行ってたから、
おばあちゃんがすぐ起きてストーブつけてくれていたのが懐かしい
笑うせぇるすまんとかドラえもんをよく一緒に読んだけどそばに居るってだけで落ち着いたなぁ

327 :大人になった名無しさん:2007/07/15(日) 20:37:39
昔からのじいちゃんの口癖。
「じいちゃんはお前達が小学校を卒業する頃には死んでるからなー。」

「じいちゃんはお前達が中学校(ry」
「じいちゃんはお前達が高校(ry」
「じいちゃんはお前達が大学(ry」
「じいちゃんはお前達が成人(ry」
「じいちゃんはお前達が結婚(ry」

・・・じいちゃん、最後のパターンだけ本当ダターヨ。・゚・(ノД`)

328 :大人になった名無しさん:2007/07/15(日) 21:54:43
うちのじーちゃん、ギターがめっちゃうまい。今度ライトハンドを教えてもらう予定。

329 :大人になった名無しさん:2007/07/16(月) 01:31:19
うちのばあちゃん、畑でまむし(毒蛇)に噛まれて、救急車も呼ばずに自分で
車運転して病院(小さい町医者)行って、びびった医者に救急車を呼ばせた兵。
じいちゃんはまむしを生け捕りにし、その場で捌いて湧き水で洗って持ち帰り、
干して食ってた。そういえば生きたまむしを私に持たせたこともあったな。
まむし関連の思い出が強すぎて、どうにも他の事が思い出せない。つーかどんな
老夫婦だ。

330 :大人になった名無しさん:2007/08/02(木) 00:27:12
母親が料理が出来なかったので朝食を作ってくれるのはいつもお婆ちゃん
それがなぜかお粥と生ぶしの甘辛く煮たの、漬物、それだけw
何か変だったけど今となってはなつかしい。
目が悪いのに夜なべしてちゃんちゃんこを作ってくれた。
思い出すよ、お婆ちゃん。

331 :大人になった名無しさん:2007/08/02(木) 00:35:15
そんで爺ちゃんは赤ん坊の頃から風呂に入れてくれて、自転車のかごにいれて
どこまでも一緒についていった。夜寝るときはなぜか@水戸黄門の話(時代劇
ファンでもあったw)
夏休みや春休みは一緒に野球の練習したりナイターを見に行ったり。
それがある日突然歩けなくなって病院にに行ったら癌が骨に転移してた。
必死で徹夜で看病した。ダメだったけど病院でいつも看護士さんや周囲の人に
自慢の孫だと自慢してくれてたらしい。
爺ちゃんと暮らせて幸せだったよ。
両親がダメダメだったから、爺ちゃん婆ちゃんがいてくれなかったら
どうなってただろうか、と思うと怖い。

332 :大人になった名無しさん:2007/08/19(日) 02:03:22
俺のジイチャンとバアチャンはほんとに俺達家族を可愛がってくれた。
もぉ二人ともこの世にはいないけど、今までほんとにありがとう。
一生忘れないし、心の中では生き続けてる。
今までほんとにありがとう。これからは俺ももっと頑張るから二人で安心して見守ってね。

333 :大人になった名無しさん:2007/09/21(金) 18:47:48
この間くも膜下出血で倒れたおばあちゃんは、木曜日、手術を受けた。
手術後に痙攣が起きたらしくて、そのまま話せない状態になっている。
医者の話だと、もって明日までだそうだ。

今週の日曜日、僕はおばあちゃんのお見舞いに行った。その時までは元気だったんだ
なんで敬老の日、僕はお見舞いに行かなかったんだ。
おばあちゃんが亡くなってしまったら、僕はそのことを一生後悔するだろう。

334 :大人になった名無しさん:2007/09/26(水) 00:21:41
今日おばあちゃんが亡くなりました。
私の母の話によると、朝ゴミを捨てに行った後、ベッドで眠るように逝ってしまったそうです。
知らせを受けて、嫁と子供2人を連れておばあちゃんの家に行きましたが、
本当に眠ってるみたいな安らかな死に顔でした。
私は共働きの父母に育てられた関係で、おばあちゃん子でした。
またおばあちゃんも私を非常に可愛がってくれ、
私の子供も可愛がってもらってました。

明日の通夜に向けて、親戚一同で遺品の整理をしていたのですが、
お茶を飲むためにコップに氷を入れようと冷凍庫を開けてみると、
そこにはカキ氷のカップが2個。
2〜3日前までここ(関西)はかなり暑かったため、私の子供に買ってくれてたんだと
母から聞きました。子供がケンカしないように同じ種類のを選んで。
それを聞いた瞬間に泣き崩れていました。

おばあちゃん 寂しいよ、帰ってきてよ。11月の誕生日にはデジタルフォトフレームに
曾孫たちの写真を入れて渡すって約束したのに。

すみません、自分でも何を書いているかわからなくなってきました。

明日は通夜・明後日が告別式。
お別れを言ってきます。

335 :大人になった名無しさん:2007/09/27(木) 03:33:12
こんな夜遅くだけど、このスレ見て婆ちゃん、爺ちゃんのこと覚えました。


長文になったけど、すみません・・・・


俺の母方の爺ちゃん90歳、婆ちゃんは85歳でまだまだ元気に生きてます。

爺ちゃんは昔、検事やってて結構出世したとか。
だから、結構大きい家に住んでいる。
俺んちはマンションで小さいけど・・・・

俺は現在大学一回生、親と一緒に日本で住んでます。
小さいころ、親父の仕事の関係でアメリカに引っ越したりしてて
そして、年に1回、1ヶ月ほど夏休みに日本に帰国してた。
俺は爺ちゃん、婆ちゃんが大好きで
毎年いつも楽しみにしてたけど・・・・
母がめちゃ、親孝行者でさ・・・
正直、「爺ちゃん、婆ちゃんを大切にしなさい」だの
マジでウザかった。
だから、中学生で日本に引越しして以来、会わなくなった。
母は結構会いに行ってたけど・・・

大学生になって友人の爺ちゃんや婆ちゃんが亡くなったり、
親戚が死んだって話を良く聞くようになった。

そして2ちゃんの孝行スレを見始めた。

めちゃ、感動した。
ほんと、爺ちゃんと婆ちゃんに会わなきゃいけないと思った。
だから、夏休みに爺ちゃんと婆ちゃんの元に行った。
少しだけど、夕食をおごった。
婆ちゃんはそのレストランで俺が小さいころの話をしてくれた。
スイカを食べるために学校からダッシュで走り、
汗だくになって帰ってきたことを。
話終えたら婆ちゃんは泣きはじめた。
しばらく見ない間、こんなに成長したんだなって・・・・
母ももらい泣きしてた。
爺ちゃんはガンコだったから泣かなかったけど、
すっごい嬉しそうだった。
俺ももらい泣きしちゃったw

でも、良かったと思う。
可愛がってくれてありがとうって言えたっぽいから。
爺ちゃん、婆ちゃん死なないで欲しいなぁ・・・

336 :大人になった名無しさん:2007/09/27(木) 22:59:23
おばあちゃんは、家で介護していたけど、体が動けないからイライラして家族に八つ当たりして、
家の中がメチャクチャになっちゃって、同居をやめた。
 辛かったな〜。おばあちゃん、大好きだったのにな・・・。

337 :大人になった名無しさん:2007/09/29(土) 22:52:47
こんばんは。私のおばあちゃんも19日の朝、亡くなりました。
一年前に脳梗塞で倒れてしまい、一年間意識も戻らないまま、
ずっと入院してました。
私は東京、おばあちゃんは大阪で、なかなかお見舞いに行けませんでした。
私はおばあちゃんにとって初孫ということもあって、
本当に本当にいっぱいかわいがってもらって、
離れて暮らしてたまにしか会えなくても、
おばあちゃんはいつも私の心の支えでした。
おばあちゃんが倒れたときも、親戚の皆が話し合って、
私に事実を伝えたらショックでどうにかなっちゃうだろうから、
しばらく内緒にしておこうというくらい、
私にとっておばあちゃんの存在は大きなものでした。
なのに、いなくなっちゃったよ。


338 :大人になった名無しさん:2007/09/29(土) 22:53:45


朝、母からおばあちゃんが亡くなったと連絡を受け、
三歳になる息子を抱えてすぐ大阪に行った。
お通夜の時は自分でもびっくりするくらい気丈でいられた。
でも、お葬式で、棺にお花とか遺品とか入れる時からは、
意識が飛んじゃうくらい、泣いた。
おばあちゃんの棺に、おばあちゃんがまだ元気なときに撮った、
おばあちゃんと私と私の息子の写真くらい入れてあげればよかった・・・
おばあちゃんにしてもらってばかりで、
私は何にもおばあちゃんにしてあげられなかった。
おばあちゃんのお誕生日に電話いっぽん、してあげた事なかった。
初任給で何かプレゼントすればよかった。
私の結婚式に、しんどいのに大阪から来てくれたおばあちゃんと
もっと話せばよかった、友達とばかり話して、全然気に掛けられなかった。
もっともっと・・・
こんな後悔ばかり。
私がこんなにメソメソしてる事、一番おばあちゃんが望んでないと
わかっているけど、どうしてこんなに涙が毎日止まらないの。
もう一度だけ、会いたいよ。

今は、おばあちゃんがとってもかわいがってくれた、
おばあちゃんのひ孫が、いっつもおばあちゃんの写真見て、
「ひいおばあちゃん、おはよ」
と毎朝言うんだよ。
こないだなんか、自転車乗ってる時、お空見上げて、
「ひいおばあちゃんが笑ってるよ」
なんて言うからびっくりしちゃったよ。
おばあちゃん、いつも見守ってくれてるんだね。
ネンネの時は、「千の風になって」を、
「ひいおばあちゃんのお歌歌って」と言うんだよ。

だから、私も泣いてばかりいないで頑張るね。
おばあちゃんの分まで、ひとりになっちゃったおじいちゃん大事にするね。
おばあちゃん、28年間たくさんの愛をありがとう。
何も出来ない孫だったけど、きっとおばあちゃんを想う気持ちは
世界一だよ!
おばあちゃんを想う気持ちは誰にも負けないよ。

いつか五月山から二人で見た夕日、きれいだったね。
いつか私がおばあちゃんのトコロに行く日が来たら、迎えに来てね。
きっとその時はわたしもシワシワおばあちゃんになってるかもだけど、
また二人で夕日みようね。

またいつか生まれ変わる日が来ても、
私のおばあちゃんになってね。



長々とすみませんでした。
皆さんも、おじいさん・おばあさんご健在でしたら
私のように後悔しないように、大事になさってくださいね。

なんか、自分の気持ちを文字にしたら、すっきりしました。
読んでくださってありがとうございました。


339 :大人になった名無しさん:2007/10/06(土) 21:41:44
大好きなおばあちゃんが亡くなった。すごくおばあちゃん子だった私はおばあちゃんの
名前の一部(漢字)を未来の子供の名前に入れたいと考えた。
でも昔の名前だから今の時代にマッチせず、あまり可愛くない名前になりそうだったので、
何となく自分の名前の一部の漢字の意味を調べようと思って、見ると、
同義語に、なんとおばあちゃんの名前の漢字が。
とてもびっくりしたし、私の名前はお父さんからとったもので(お父さんは婿なので他人)
すごい縁だなあと思った。
おばあちゃんと私は四柱推命も、星座も、細木数子の占いでも同じですごく運命を感じて
いたけど嬉しい。

340 :大人になった名無しさん:2007/10/09(火) 01:44:51
おばあちゃん、今、入院してます。
まだまだ元気だけど、病院は辛いみたいで、お見舞いに行くと泣きながら帰りたいと言います。
家に帰してあげたいよ、、、。
また泊まりに行くからね、ばあちゃん。
一緒に遊ぼうね。


341 :大人になった名無しさん:2007/10/09(火) 01:52:18
↑思い出がなかった;
小さいころ、よくダイヤモンドっていうボードゲームしたな。
あと、俺が風呂で裸踊りしたのに凄く笑ってくれて、
小5くらいまで毎回してた。
寝る前は昔話聞かせてくれたし。
毎年、年越しはばあちゃん家で迎えてたなぁ。
紅白見てさ。
行かなくなったのいつからだろ、、、。
ばあちゃん菊育てるのが好きだったな。
ほかにもいろんな花育てて、綺麗な庭だった。
遊びに行くと必ずおこづかいくれたし、、、。
手作りの服も作ってもらった。


342 :大人になった名無しさん:2007/10/09(火) 08:09:49
うまれて初めて食べたハンバーガーは
母がお盆に帰省したときに
ばあちゃんに近鉄八木駅前で買ってもらったドムドムのハンバーガーでした
(今はもうない)
ほっぺたが落っこちるくらいうまかったよ!

ばあちゃんありがとう
(昭和53年ぐらいだと思います)

343 :大人になった名無しさん:2007/10/12(金) 18:45:13
ばあちゃん、元気ですか!!?
入院生活頑張ってください。
一番のおもいではなんだろう。
お人形にお化粧したり、日記つけたり、机買ってくれたり、
オサダに行ったり、遊園地行きかけてやめたり、お墓参りいったり、
もちつきしたり、いとこたちと遊んだり、
近所の女の子とアイス食べたり、
いっぱいいっぱいあります!!!!
これからどんどん孝行するからね・・・。

344 :大人になった名無しさん:2007/10/18(木) 01:14:22
スレチごめん
明日おばあちゃんと遊ぶ。
町田にいこうと思うんだけど
おばあちゃんもたのしめるスポットある?
いい思い出つくりたいんだ
スレ誘導していただけるとありがたいです

345 :大人になった名無しさん:2007/10/20(土) 06:51:53
>>344
そら〜おばけマンションじゃねえの?やっぱ

346 :大人になった名無しさん:2007/10/22(月) 22:42:18
>>340

死んじゃうかもね
あはは

ごめんごめん 長生きするといいのにね あはは

347 :大人になった名無しさん:2007/10/22(月) 22:43:27
>>344

ふうぞく

348 :大人になった名無しさん:2007/10/22(月) 22:58:03
>>314

くそったれがぁ

349 :大人になった名無しさん:2007/10/26(金) 02:37:00
じいちゃんもばあちゃんも今入院してる。
さっきなんとなく二人の部屋入ったらなんでかわからんが
涙が止まらん。

共働きの親の代わりに私と弟を一生懸命育ててくれたじいちゃんとばあちゃん。
ばあちゃんのカレーは世界で一番美味しいんだよ。
じいちゃんは誰よりも物知りで優しいんだよ。
どうしてもっと早く気づかなかったかったんだろう。

二人ともずっと元気だと思ってたのに
早く退院してよ、元気な顔見せてよ、二人とも大好きだよ

350 :大人になった名無しさん:2007/10/29(月) 09:12:35
このスレ見てるとたまにはばあちゃんのところに遊びにいかないと…と思う。
手も足も悪いが、「あんたが嫁貰ってウチに来るまでボケてもいられん」と、冗談を飛ばすばあちゃん。

ごめんよばあちゃん。
童貞どころか来年から無職確定なんだ…。

351 :大人になった名無しさん:2007/11/01(木) 01:51:29
この間じいちゃんが亡くなった。
病状が悪くてずっと入院してて、しんどいはずだったんだけど
一度も弱音は吐かなかったそんなじいちゃんだった。
7人家族で俺だけ実家離れて一人暮らししてるんだが、じいちゃんは
自分の体より俺の小遣いのことばっか心配してたそうな。
じいちゃんがなくなる1週間前に実家帰ってじいちゃんに会ったんだが、
じいちゃんはベッドの上で酸素吸入器つけてしんどそうな表情してた。
「ほんならじいちゃん、俺帰るけーなー」って言ったら、じいちゃんは
小さくうなずいてた。今思えばあれが最後の会話だったな。
それから1週間してじいちゃんは亡くなった。
あれだけ大きいお腹してたじいちゃんは、めちゃくちゃ痩せてた。
冷たくなったじいちゃんの前で、俺は涙をこらえきれずに声をあげて泣きまくった。
夏休みにもっと会いにいけばよかった。もっと話すればよかった。後悔しても仕方がなかった。
小さい頃じいちゃんにもらった50円玉握りしめて近所の駄菓子屋に走っていた頃が懐かしいなぁ。


352 :大人になった名無しさん:2007/11/01(木) 02:16:19
おじいちゃんの思い出か・・・
俺も語ってもいいかな?

353 :大人になった名無しさん:2007/11/01(木) 02:28:18
先月の27日におじーちゃんの13回忌があったんだ。
ちなみに命日は30日。
俺のおばーちゃんは嫁に来たわけだけど、
嫁に来た人が13回忌までやるのは珍しいらしい。

正直言って久しぶりにおじーちゃんに手を合わせたよ
言い訳じゃないけど、正月の墓参りとかもバイト入ってたし行けなかったんだ。

354 :sage:2007/11/01(木) 02:35:04

俺のおじーちゃんはさ、すごい手先が器用で何でも作ってくれたよ
割り箸と輪ゴム使ってゴム鉄砲つくってくれたり、
俺が「卓球したい」って言ったら、学校から帰ってくると手作りの卓球台があったりもした。
そんとき流行ってたミニ四駆なんか、小さい俺には作れなくて一緒に作ってくれた。

とにかく俺はおじーちゃんが好きだったし、おじーちゃんも好きでいてくれたと思う。

思い出いっぱいありすぎて困るぐらいなんだけど、さすがに13年も立つと
声とか忘れちゃう訳よ。それに顔だって思い出せなくなる。おれそれがすごい悔しくてさ・・・

んでこの前かーちゃんがカセットテープもってきてさ、それにおじーちゃんの声入っての
おれすげー嬉しくて親の前だったけど泣きそうになった。

355 :大人になった名無しさん:2007/11/01(木) 02:36:21
sage間違えた笑。ごめん

おじーちゃんが病気で倒れて、ある日俺が見舞いにいったんだ。
そしたら、もうすでに意識とかない状態で寝てる感じだった。
でも俺が来たらパッツて目を覚ましてくれて、
俺も答えようと「おじーちゃん!おじーちゃん」って言って手繋いでた。
普段ならお見舞い終わったらすぐ帰るんだけど、その日は帰りたくなくて
ダダこねまくって、親に引きずられながら渋々帰った。
んでその夜におじーちゃん行き引き取った。

356 :大人になった名無しさん:2007/11/01(木) 02:46:18
葬式とか俺の人生の初めてで、おじーちゃんがいなくなったとか
深く考えて無かったから、まったく泣かなかった。
けど何日かして夜寝るときとかに思い出すんだよな・・・
んで気づくんだ「もう会えない」って
すげー悲しくて毎晩おいおい泣いてたよ。


てな感じの事を法事の時にずーっと考えてた。
13回忌で終わりだから、もうこーやってちゃんとすることないからさ。
焼香の時に手を合わせたときに「いままで全然墓参りいかなかった」こと謝って
「おじーちゃん。いろいろありがとう」てお礼を言った。



以上で終わり。
ありがとう。

357 :大人になった名無しさん:2007/11/03(土) 23:14:12
携帯からスマン中学の時の話
理科の授業でカエルを使って実験をするから、斑でジャンケンして負けた奴が
次の日生きたカエルを持って行かなきゃならなくて、見事ジャンケンに負けた。
いつもなら自販機にへばりついてるのにその日に限っていない。どこにも
じいちゃんに山に連れて行ってもらい何とかカエルを二匹ゲット。
じいちゃんが、ビニール袋に入れてくれて、穴あけないと死んじゃうからって気を利かせて少し
穴をあけて、一晩放置。次の日、カエルを持って行こうとしたら脱走していなくなっていた。
何で穴あけたの!!カエルどうすんの!ってじいちゃんにぶち切れた。
じいちゃんは今から取りに行くと行ってくれたけどもう学校行かなきゃだから
いいよ!!って行って学校に行った。カエル一匹くらい他の班から譲って
もらえるだろうと思って班のみんなには謝った。理科の授業の前の休み時間
何やら廊下が騒がしい。廊下に出てみると、そこにはカエルを持ったうちの
じいちゃんの姿が…。あたしが怒られたらまずいと思って取ってきてくれた。
そのカエルはオーソドックスなタイプのやつじゃなくてデカいやつだったし…
でかいわりにクロロホルムかがせたらすぐに息絶えて結局実験には使えませんでしたorz
でもじいちゃんありがと。

358 :大人になった名無しさん:2007/11/06(火) 23:53:56
携帯からスマソ


兄貴の嫁さんのばぁさまが今日亡くなった。
まぁ、血の繋がりもなにもない人だ。
今までに5回も会っちゃいない。


兄貴と姉様は見合い結婚だ。
姉様の家はクリスチャンだった。
で、見合いの時言ったらしい。

自分の弟もクリスチャンですって。
(我が家はひいばあちゃんがクリスチャンで、亡くなってからは俺だけ教会に行くようになってた。)

その話しを聞いたからなのか、ばぁちゃまは俺に優しかった。
兄貴が家に行ったのに、
「今日はお兄さんは?」
とか勘違いしてたらしい。
まぁ多少ボケてたんだろう。

家に遊びに行った時も、俺だけ刺身だの酒だの沢山食わしてくれた。
俺だけにお土産持たせてくれた。
行けなかった時も兄貴に俺のお土産持っていってくれって言ってたらしい。


今日、仕事の帰りにたまたまペンダントトップの十字架買った。
3種類買った。
家に着いたらおかんに言われた。
姉様のトコのばぁちゃま、亡くなったよって。

なんなんだよ、ちくしょう。
また来るからねって言ってたのに。
今度来たら兄貴の家まで俺が連れてったげるって言ったじゃん。
ばぁちゃま、2年前に亡くなったじぃちゃまが迎えに来ちゃったのか?

そんなことを部屋でぼ〜っと考えてたら、
パッと頭にさっき買った十字架の意味?が解った気がした。

一つは俺の。
後の二つは二人の姪っ子、ばぁちゃまの曾孫の。

きっとばぁちゃまがそーしてほしいと思ったような気がする。

ヤツラが成長したら、この十字架をやろう。
お前達のひいばぁさんからだって。


ばぁちゃま、俺、またおばあちゃんが自分にできて嬉しかったよ。
ゆっくり休んでね。



読みにくい文、チラシの裏スマソ。

359 :大人になった名無しさん:2007/11/07(水) 01:32:19
>>356
墓参りくらい行けよ。


360 :大人になった名無しさん:2007/11/07(水) 06:07:58
携帯からごめん。

昨日の朝おじいちゃんが亡くなった。
一昨日誕生日で68歳になったばっかだったのに。
癌が全身に転移して歩けなくなってて、余命1ヶ月って言われてからまだ1週間。
こんなに早く逝くって思ってなかったよ。

昨日の夜中は苦しくて、枕もとにずっと私が「誕生日おめでとう」って書いた手紙握りしめてたらしい。
おじいちゃん、母さんに「孫の成長が見たかった。それだけが心残りや」って言ってたみたい。ずっと「大学資金は俺が出す。年金貯めとかなな」って言ってくれてたもんなぁ。
誰も最後の言葉聞けてなくて、誰もみとれてやれなかった。ごめんね。でも、おじいちゃん私の声に反応してくれたね。

おじいちゃんは働いている両親と、病気で思うように動けない祖母の代わりに、全部の家事をやってくれたなぁ。

何もしてあげれなくてごめんなさい。

私おじいちゃんが自慢できるような孫になるから。おじいちゃん、今まで本当にありがとう。

長文で見にくい文でごめんなさい。

361 :大人になった名無しさん:2007/11/10(土) 22:12:52
母方のおじいちゃん。

孫の中で私を一番かわいがってくれた。

大学で東京に上京した私が里帰りをした時、10時には必ず就寝する祖父が
9時過ぎの駅の改札で私を待っていてくれたことがあった。
時刻表を見れば列車の到着時間はわかるのに、一時間も駅の改札で待っていてくてれた。
そして、おじいちゃんは微笑みながら「ひいちゃん、ようこそいらっしゃい」と言って、
重たい私の荷物を持ってくれた。

帰郷する度、今もチェック柄の帽子を目深にかぶったおじいちゃんが
改札の前で待っていてくれているのではないかと探してしまう。


362 :大人になった名無しさん:2007/11/11(日) 02:48:11
同居してたおじいちゃん
ある晩御飯の時に大きなスズメバチが入ってきて
蛍光灯付近をぐるぐる回り出したので
「怖い!」と言ったところ、タイミングを見計らって
まるで武蔵(だったけ?)のように、箸でパっと捕まえて
すぐに台所の洗い桶に沈めて窒息死させたのをおぼえている。
まぁ逃がしてやっても、裏庭に巣を作られたら困るしね。

363 :大人になった名無しさん:2007/11/28(水) 21:47:12
ちょっとガチで泣ける

364 :大人になった名無しさん:2007/12/08(土) 23:48:25
昨日祖母が他界して、今通夜に来てる。
仕事がいつも夜勤なもんで休みが取れるかどうか微妙だったけど、半ば強引に休ませて貰った。
何だかちゃんと見送ってやらないと、恐らく一生後悔しそうな気がしたから…

取り敢えず誰かに聴いて欲しかった。
長文・駄文スマソ

365 :大人になった名無しさん:2007/12/09(日) 01:29:33
今日は祖父の命日。
2年前の今日、離れて暮らしている父から夜中電話があって亡くなった事を知らされた。
頑固で人の意見を聞かず、上手くいかなくなってきてた商売をどうにかしようと画策。
余計にひどい事になって借金いっぱい作ってしまったおじいちゃん。
そのせいで両親は別居状態になり私も大好きな父と離れて何年も暮らしてた。

お通夜・お葬式の日は、不謹慎な言い方かもしれないけどとても楽しかったよ。
家族が揃ったのは4年ぶりだったし、お父さんも嬉しそうだったさ。
遺影の写真、なかなかいい写りだね、ってみんな褒めてたよ。
棚を整理してたら昔の100円札が出てきて、誰のだろう?きっとおじいちゃんのだってなったから
棺おけにいれておいたけど、もう使っちゃったかなぁ。
おじいちゃんいっつもぜんこがねぇぜんこがねぇってお金の心配ばっかしてたから
入れてやったら喜ぶべ、っておばあちゃんが言ってちょっと悪ふざけかもしれないけど入れといた。
あとイトコが、偏食なおじいちゃんがこればっかり食べてたから持ってきた、って言ってた豆パンは食べた?
外出する時いつもかぶっていたかっこいい中折れ帽子。
あれは絶対入れないとね。
あれを見た時、それまで泣かなかった私は一気に涙が出たよ。
あの帽子は、私にとっておじいちゃんの象徴だったのかもしれない。

悲しい席なはずなのに、思い出すのは楽しいことばかりです。
家族全員揃った最後の思い出。
あの後お父さんとお母さんは離婚したから、もう全員揃う事はこの先ないと思う。
それを思うとさみしいけど、でもあの2日間は本当に楽しかった。
私はこの家族が大好きだ、この家族に育てられて良かったな、って思った。
最後の思い出が楽しいもので、良かった。
ありがとうおじいちゃん。
借金のこと、今は誰も恨んでいません。
弁護士の先生が良いようにしてくれたから、家族バラバラだけど、それぞれの地で頑張ってるよ。
またお墓参り行くからね。

366 :大人になった名無しさん:2007/12/09(日) 13:23:08
>>356
自分も園児の時おじいちゃんが亡くなって、でも葬式の時は訳が分からなかったなあ…
後からもう会えないんだって気づいて泣いた。
本当によくわかるよ。

367 :大人になった名無しさん:2007/12/09(日) 17:35:27
先日母方のおばあちゃんが亡くなった。末期の胃がんだった
入院する直前までデイサービスに通ったり、
私の家にも泊まりにきてくれたりした
歌が大好きで私の家族みんなでカラオケに行ったときすごく楽しそうだった
おばあちゃんはボケててすぐ忘れちゃうけど私の家の電話番号だけは忘れなかった

今年の6月くらいから入院しててずっと点滴で何も食べられない状態で
私が病院に行くととても喜んでくれた。
入院してて足もふらついてるのに「カラオケにいきたい」って言ってたから
一回だけカラオケにいった。
そのカラオケはシダ○クスみたいな個室じゃなくて大広間でやる感じの
カラオケだった
入院してるときのおばあちゃんは声もあんまりでなかったのにカラオケで歌うときは
ものすごくしっかりとして一曲歌いきったらしい
その話を同行した母から聞いて泣いた

最後は誰も間に合わなかったらしい。
今思うともっと病院に行って上げればよかったと思った。

昨日の昼。そのとき家には家族はいなくて私一人
インターフォンが鳴って出てみても誰もいなかった。
いつもは誰か人が来ると犬が吠えるんだけどそのときは静かだった
それを家族に言うと「きっとおばあちゃんが来たんだね。」って言ってた
私の姉も焚いてもいないのに線香の匂いがしたらしい

通夜は明日。斎場でおばあちゃんの歌が録音されたテープを流すらしい
元気だった頃のおばあちゃんの声が録音された歌なんて流されたら余計に
涙が出てくる

368 :大人になった名無しさん:2007/12/13(木) 20:14:18
>>365
金は稼いだら入ってきますが、家族の懐かしい思い出はどんな大金を
出しても買うことはできない。
世界一の金持ちにも買えません。
懐かしい家族の思いではこれから生きていく人生のこやしになるよ
ガンバレ!

369 :大人になった名無しさん:2007/12/14(金) 21:18:24
おじいちゃんから昔貰った壷出来心で売っちゃったよ・・・
ごめんね

370 :名誉カラス:2007/12/15(土) 23:20:34
正直、祖母には長生き云々ではなくさっさと死んでほしい。
ぼけて長生きなんてやめろ!

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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